長い中国史のなかで、様々に変遷した中国茶が波乱万丈すぎる…という話

スポンサーリンク

こんにちは
中国茶礼讃へようこそ。
管理人の篠塚です。

今回の記事では、お茶の歴史について掘り下げてご紹介しましょう。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

お茶のルーツに迫る

茶樹の起源は6,500万年前に遡り、その原産地は雲南省・貴州省・四川省の3省にまたがる雲貴高原の山間部であると言われています。2,300万年前の地質気・気候変化等により、茶樹は大葉種から中葉種、小葉種へと形態変化を起こしながら、他の地域にも広く分布するようになったと考えられています。

「お茶のルーツは中国にあり」と言われていますように、茶を飲む「喫茶」の原点も中国に求めることができます。実際にどのくらい昔からお茶が飲まれていたかは不明ですが、唐の時代に茶聖と呼ばれる陸羽が描いた世界最初の専門書「茶経」には、茶は紀元前3400年頃の神農に始まり、紀元前1046年頃の魯の周公旦の時代に広がったと書かれています。早い話が、とても古い時代、日本で言えば縄文時代の頃からお茶は飲まれていたのです。

神農は山を巡り歩き、様々な野草や樹木の実や葉を食べて、どれが人間の体に効果があるかを調べました。その中には毒であるものもあり、解毒のために茶を用いたと言う伝説があります。また、紀元前556年頃の「晏子春秋」と言う書物の中にも茶について書かれており、この時代に茶が食物・飲料としてある程度の広がりを見せていたことがわかります。

それでは、中国茶の歴史を各時代の情報をみてみましょう。

中国の各時代における茶の歴史

漢(B.C206〜A.D220年)

王褒の「僮約」に記載されている、奴隷と取り交わした契約の中には「茶は武陽に行って買え」「器具を用いて茶を煮ろ」という文言があり、四川省周辺では身分のある者がすでに茶を飲んでいたことが伺えます。

三国時代(220〜280年)

呉の末期に、王の孫晧は家臣の偉曜が酒に弱いことを知っていて、宴席では酒の代わりにこっそりとお茶を勧めた、という記録があったと言われています。このことから、この時代、宮中ではすでにお茶が一般的になっていたと考えられています。

南北朝時代(439〜589年)

仏教伝来に伴ってお茶の役割が仏教の修行の中で重要なものとされた為、寺院を中心に茶が栽培されていました。また、王族以外のインテリ階層にお茶が浸透し始めた時期でもあったようです。

随(581〜619年)

文帝が大変なお茶好きで、これが家臣たちにお茶を飲ませる原因となり、さらに一般社会にお茶が広がる原動力となった。

唐(618〜907年)

この時代の茶については、陸羽の「茶経」に詳しく記載されています。日常的な飲料として茶が中国全土に広がっていたようです。また、日本に初めて茶がもたらされたのもこの時代であったとされています。

陸羽の時代のお茶は、茶葉を蒸して固める固形の「餅茶」で、これを薬研で粉にして煮出して飲んでいました。唐代中期頃になると、中国の主だった茶の生産地ではその栽培が開始されています。

また、辺境の少数民族とのお茶と馬との交換も行われており(茶馬貿易)、さらに782年には、茶に税金も掛けられた記録があり、それだけ広く普及していたことが分かります。

宋(960〜1279年)

喫茶と言う習慣が広まり、茶は専売制になり、国家にとって重要な財源になりました。街中には茶館が並び、酒楼に茶給仕が配置されるなど、茶は一般の人々の楽しみとなっていたと言われています。

また、この頃になると、茶の豪商なども出現します。この頃宮廷で飲まれていた茶は「団茶」と呼ばれる固形茶が中心で、福建省建安の官制茶園である「北苑茶園」で「龍団鳳餅」と呼ばれる高級茶が作られていました。粉にした茶を茶碗に入れ、そこに湯を注ぐ点茶法が一般的になり、これを飲む器として黒釉の焼き物がもてはやされ、「建窯」で作られる茶碗が有名でした。

一方、寺院を中心に茶作りも積極的に行われ、日本に伝来した散茶による抹茶作りもジーンで行われていたのではないかといわれています。西北辺境でも茶の市が立つようになり広範囲に茶が伝播したことを物語っています。

この頃の茶文化については蔡襄の「茶録」に詳しく記録されており、また、徽宗皇帝の書いた「大観茶論」には製茶技術とお茶の品質について書かれています。

元(1276〜1368年)

元の時代になると、北方の蒙古民族が国を治めたため、やや茶が下火になりましたが、基本的には宋の時代の頃の茶文化を引き継いでいました。しかし、バター茶等の北方の飲み方が伝わったとも言われています。なお、寺院を中心に、中央政権以外では散茶が広がりつつありました。

明(1368〜1644年)

明の時代になると、お茶のあり方は大きく変化しました。農民出身だった明の太祖の朱元璋は、それまでの高級で贅沢な固形茶を廃して、散茶を奨励しました。そのため、製法も従来の蒸す方法から炒る方法に変わっていきました。それにより各地に多くの銘茶が生まれました。この時代に生まれた銘茶として龍井茶や黄山茶、さらに武夷岩茶などが挙げられます。またジャスミン茶などの花茶が生まれたのもこの頃とされています。

さらに、「煮茶」「点茶」から「泡茶(現在のようにお湯を注いで抽出する方法)」に喫茶形態そのものも変化していきました。それにより茶の製造方法や茶道具も変化し、宜興紫砂の茶壷が生まれました。

さらに1610年には、オランダ東インド会社がマカオや平戸でお茶を仕入れ本国へ持ち込んだことから、欧州へ茶が伝播されたことにより、その後の茶の世界地図は大きく塗り替えられたのでした。

清(1636〜1912年)

明の時代から清の時代を移ると、大都市のみならず、地方都市にも茶館や茶楼が随所にでき、大いに繁盛しました。緑茶に加え、烏龍茶なども注目を浴び、特に武夷岩茶は欧州へ輸出されていました。詩人の袁枚は「隋園食単」の中で、天下の茶で最も良いのは武夷山に産する茶であると述べています。なお、この武夷に近い星村の茶「正山小種」が紅茶が生まれるきっかけと言われています。その他には龍井、君山銀針などが有名です。

第4代康煕帝と第6代乾隆帝はお茶好きの皇帝として知られ、多くの銘茶が献上茶として生まれています。特に乾隆帝は、お茶に関する詩や逸話を残し、西湖龍井村の18本の「御茶」は乾隆帝にちなんだ茶園と言われています。

18世紀になると、英国で喫茶が普及し始め、紅茶(最初は緑茶)が輸入されるようになりました。茶貿易増大のため英国から銀が流出し、その流出を食い止める策として英国がアヘン貿易を始めたため、悲劇のアヘン戦争が勃発し、清朝が崩壊するきっかけとなりました。1823年、英国人ブルースによってアッサムで茶樹が発見された後、英国がインドの紅茶プランテーションを成功させたため、中国のお茶の輸出は大きく減少しました。

中華民国(1912〜1949年)

この時代は戦乱の時代にもかかわらず、茶業は引き続き活況を呈し、茶の産地は各地に広がっていきました。また、宜興の紫砂茶壺は、官製の工場が稼働しており、この時代に多くの普及品が製造されています。

中華人民共和国(1949年〜)

第二次世界大戦後、毛沢東時代を経て1966年に始まり10年以上続いた文化大革命の粛清の嵐の中で、贅沢品である茶は大打撃を受けました。多くの茶畑が伐採され、また工芸品である数多くの茶器なども破壊されたと言われています。

その後、1980年代になって国を挙げて農業振興が図られ、茶業も復興しました。現在では、中国の各地区の茶葉研究所等の尽力により再び興隆の道をたどっており、2000年代以降、各地に茶館ができ、茶のブームが到来しています。

台湾茶の歴史

台湾では、17世紀には先住民が野生茶樹を自家製のお茶に製茶していたと言われていますが、清の時代、1796年に柯朝氏が福建省武夷山から台湾北部に茶の苗木を入植し台湾にお茶がもたらされました。

また、鹿谷郷の林鳳池が福建省から軟枝烏龍種の苗を36株持ち帰り、そのうち12株を凍頂山に植樹しました。

さらに1862年にはイギリス人のジョン・ドットが李春生と台北で商社を作り、福建省の製茶技術を本格的に伝え、「Formosa Tea」の商品名で北米へ輸出しました。

さらに1881年には福建省の茶商・呉福元が包種茶の製造法を伝えたことで、茶の生産と輸出が大幅に拡大しました。

その後、日本統治時代(1893〜1945年)には茶製造試験場(現在の台湾省茶業改良場)を設立し、製茶機械を導入して茶の品質を向上させたり、検査機構を設立して茶産業を振興させたため、生産量や輸出量は飛躍的に増大しました。

1912年台湾では中華民国元年とし、1926年にはインドからアッサム種の苗を取り寄せ、南投県魚池地区に植え、台湾紅茶の生産が始まりました。1970年代以降には台湾では烏龍茶ブームとなり、都市部にも茶藝館などができ、台湾茶の作法である茶藝も誕生しました。凍頂烏龍や阿里山、梨山、杉林渓といった高山茶等は世界的にも有名になり、現在に至っています。

 

如何でしたか?

今回は、中国、そして台湾の各時代のおける茶の情報をご紹介し「長い中国史のなかで、様々に変遷した中国茶が波乱万丈すぎる…という話」と題して記事を書きました。多くの人々に愛されている世界各地のお茶の背景には、中国の様々な歴史があることを知ると深い感慨を覚えます。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
歴史
スポンサーリンク
wpmasterをフォローする
中国茶礼讃

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました